明日
「篠原〜!」
山崎の間抜けな声が、屯所に響いた。
呼ばれた篠原の顔は、放送コードに引っかかるのではないかと言うくらい崩れていた。
ただ、その顔を山崎に見せてはいけないと必死で元の顔に戻し、ゆっくりと振り返る。
「なんですか?山崎さん。」
「焼き芋、焼いたから、篠原も、いるかな、って!」
息を切らせながら、一生懸命篠原に焼き芋を渡す山崎の笑顔に、篠原は幸せな気分になった。
自分より先輩のはずの山崎は、可愛いと言う形容詞が一番似合うと篠原は本気で思っている。
「ありがとうございます。」
篠原が焼き芋を受け取りながらその体をまじまじと見ると、所々に見たことのない新しい傷が見える。
すべてがちょっとした擦り傷のようだったが、篠原の顔が険しくなった。
「どうしたんですか?その傷。」
篠原の問いに、山崎はあぁ、と軽い返事をした後に
「さっきさ、副長がいきなり俺のこと蹴っ飛ばしてきて。ちょっと肩触っただけなのにさ。」
ま、なれてるけどね。なんて軽く笑う山崎を、篠原は抱きしめていた。
この組織の副長が、とても偉いことは痛いほど知っている。
強いのだって、頭が良いのだって近くで見てきた。
だから、権力をもつことも許せる。
だけど。
「なんで、貴方はいつもいつも…。副長に何かいってやればいいじゃないですか!」
いきなり怒り出した篠原に、山崎は唖然とした。
「え?いや、いつものことだし…。」
「いつものことになっていること自体おかしいんです!貴方にだって殴られない権利がある!」
何の権利だよ…。と思いつつ、山崎は篠原の話に耳を傾けた。
「自分の体を、大事に扱ってください。貴方の体は、貴方のものだけではないのですから。」
泣きそうな顔の篠原に、山崎は何も言えなくなっていた。
「…うん。こんどは、言ってみるよ。」
きゅ、と抱き返してくれた恋人のぬくもりに、篠原は安堵を覚える。
この人は、やさしいだけなのだ。
副長が、ストレスを溜め込んでいるのを知っていたから、殴られても何も言わないのだ。
知っていたが、それは山崎の仕事ではない。
そんなのは、もっと平隊員がやるべきなのだ。
この人は、監査方隊長。
とても、えらい人。
「…いきなり怒鳴って済みませんでした。」
「気にしないで。俺も悪かったから。」
ただ。
山崎は、言葉を止めた。
物事をはっきり言う上司にしては珍しいなと篠原はそれを聞き入る。
「…俺はさ、俺のものの前に、篠原のだからね。」
絶句する篠原を見ないように、真っ赤になった山崎は少しさめてしまった焼き芋を差し出す。
出された温もりが、冷める前に。
篠原は急いで焼き芋を食べ終えた。
「篠原は、これから仕事だっけ?」
夕暮れの迫る縁側で、二人でとめとない話をする。
この時間が、篠原と山崎にとって一番幸せな時間だった。
「はい、潜入なので1週間は戻れないかと…。」
「…そっか。」
哀しそうな顔をする山崎が、とても儚く見えた。
「山崎さんもよくそれくらい潜入するでしょう。それとあまり変わりませんよ。」
「でも、寂しいなぁ。」
そんなことを言う恋人の横顔に、篠原は一言、声をかけた。
二人の、秘密の呪文。
次、いつ逢えるか解らないから。
もしかしたら明日かもしれないし、一生逢えなくなるかもしれない。
だから、哀しくならないように。
「では、山崎さん。“また明日”。」
あまりにも哀しい恋人のお話。